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医療コラム
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1999年春:私が初めての地方勤務で疲れきっていた頃、同い年の彼と出会い意気投合しました。彼の脳には大きな病変がありましたが、手術では陳旧性脳内出血ということで無事に退院し、私は大学医局を辞め病院を移籍、2人は会うこともなくなりました。
2000年秋:ふと彼からメールが来ました。「再発し病変が大きくなっている。担当医は危険すぎて手術できないと言っている」と。そして、彼は遠路はるばる私の病院を受診しそのまま入院しました。
2001年春:2度の手術で病変を全摘出しました。診断は良性の髄膜腫で、半年間のリハビリテーションで杖歩行が可能になりました。彼は入院中に新居を自分で設計し上棟も済ませ、希望に満ちた状態で2001年11月に退院しました。
2002年春:安心したのもつかの間、たった1年で腫瘍は再発しました。しかし、再摘出術と放射線療法で症状は悪化することなく退院しました。しばらくは落ち着いて、3ヶ月に一回程度の通院をしていました。その間に彼自身はホームページも開設しました。
ホームページの方は、発症からの経緯、髄膜腫について、開頭術、γ-ナイフや高気圧酸素療法の体験談など、脳腫瘍や若くして病気に苦しむ人達に、そしてまだまだ不安一杯の彼自身に勇気を与える内容でした。
2004年春:放射線壊死を疑った組織検査では、予想に反し異型髄膜腫でした。すでに静脈洞に浸潤し腫瘍の全摘出は不可能と思われました。しかし、静脈洞を再建しつつ腫瘍を全摘出する方針で手術予定を立てました。彼は手術前に自分のホームページの日記を更新しました。
■皆さん、夏バテなんかしていませんか?
今回の手術に向けて体調を整えている私。多くの方にご迷惑をおかけして申し訳ありません...最近、いろいろ方向性が決まったし...しかし落ち着けよ、あんたは寝ているだけだよ!とどこからともなく聞えてくるような...ではまた!
しかし翌朝、彼は発熱と痙攣発作で倒れました。度重なる手術、放射線治療とステロイド投与などで抵抗力は落ち、重症の脳室炎となっていました。意識が回復しなくても腫瘍は全摘出してあげたい、そう考える私と家族に対して彼から心の声が届きました。
「先生、もう手術はいいよ。病気を治すだけが医師の仕事ではない、治らない病気に絶望してもいけない、大事なことは、患者が納得の人生を送ることなのだから...」彼との数年間の付き合いで共有した、物事に対する考え方や姿勢を通じて聞こえてきた心の声だと思いました。
数日後、彼は5年間の闘病生活と34年の一生を終えました。“何事にも前向きに取り組み、常にベストを尽くす”私は彼に教わったその精神を引き継いで、これからの人生を送ることにしました。
※内容はBrain nursing 2005年4月号に掲載されました。
(コラムに転載するにあたり一部修正加筆しました)